第1章 1話 魔族の理由
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 柔らかな一筋の光のみが魔族にとっての唯一の希望だった。 人界から追放され地界へと追いやられたものたちは、それを見つめることしかできない。 その世界はただ闇の匂いに満ちていて月のレプリカには黒死蝶が舞い、夜空に似立てた光が天に散りばめられている。

 機械音がうごめく城の回廊を、一人の青年が歩いていた。 美しく濃い青紫の髪は垂れ、床につき引きずられていた。 だが彼はそれを気にするそぶりをまったく見せない。唯ひたすらと暗闇を歩いていた。 手元には輝かしい光が燈篭に灯されており、それだけが光を放っている。
 静寂な時間だけが流れていく。その場には青年しかおらず、生きているものの気配はない。 彼が歩くたびに帯についた鈴がシャンっと鳴り、回廊に響くだけだ。 響いた音は先へと進み跳ね返ってくる。進んだ先には彼の身の何倍かはある大きな扉だった。 そこへ手をかざすと扉は主人を招き入れるかのように開いた。
 部屋の中心部には機械に繋がられた大きなガラス管があった。 光で照らされたそれは、透明の液体が流れていた。 そして液体の中で一人の女性が眠っていた。 金色の髪が液体によって浮き上がっては下がる。微動だにしない身体、そしてその表情は安らかなものだった。
「義姉様……」
 機械の音にかき消されそうな細い声で彼は言った。 瞳に涙を浮かべながらただ見つめる事しか出来ない。
「声も……届かないか。第一の封印は解けました。義姉様の封印はまだ解けないのか……」
 "義姉様"と呼ばれている女性は目を閉じたまま、まったく反応はない。 ガラスの向こうで静かに眠っており、彼の声はむなしくも届かない。
「義姉様は目覚める日が来ることを望んでいないのは知っている。けれど……あれが目覚めたら貴女はきっと――」
 青年はガラスに手をあて、力を込めた。 そのガラスの先に居る彼女が何かしらの反応をしてくれればそれでいいのだ。 だが、機械音だけがその場に響き空しくなるだけだった。
「多くの犠牲を払おうと背負い続ける……あなたが望んでいなくても必ず目覚めさせる」
 そして青年は悲しい決意をした。

*…*…*…*…*

 大理石の上を歩き、通路じゅうに足音と鈴の音が響く。 そして彼は先ほどとは違う部屋に向かった。機械音さえも聞こえない静寂な場所だった。 幽かな光を除けば無という言葉が一番あっているとも思える。
「リート……リートはいるか?」
 無に吸い込まれそうになるその前に彼は重たい口を開いた。声は響き、自身のもとへと返ってくる。 目の前で極彩色の光が現れるとそこから人の形が浮かび上がった。その光は集束していき一人の女性が現れた。
「何か御用ですか、御子様?」
 リートと呼ばれた女はそのまま膝を立て頭を下げた。 魔族の民族衣装なのか、御子と同じような帯を巻きつけていた。 薄く淡い紫の髪を帯と同じ柄の装飾品で髪を結ってあった。 青年――御子の長い前髪から見え隠れする深紅の瞳をじっと見つめていた。
「リートは我に仕えてどれ位経った?」
「二千年程です。私と妹を救ってくれたのは御子、あなたです」
 リートは敬意を込めて言った。
「リートは五千年前にあった事を知っているか?」
「いいえ、私はそのころの歴史を知りません。それが……どうかなさいましたか」
 リート躊躇いながらも御子へ聞き返した。
「五千年前、ある破壊神と呼ばれた魔女がいた。 彼女は総てを破壊する力をもっていた。自分を拒んだ全てを……そしてこの世界は滅び向かった」
 リートは御子の話を黙って聞いていた。否、聞くことしかできなかった。 世界の成り立ちが関わっている話など想像していた範疇ではない。必死で整理し、それが御子に悟られないようにするしかなかった。
「そのときに世界は三つ――天地人に分かれたのだ。だがそれを止めようとした者がいた。我の……義理の姉である。 義姉は自分を犠牲にし、魔女を石に封印した。それが五千年前に起きたことだ。だが今、長き封印が解けた。 人間の体を手にすれば、その者は"破壊神"となり、三界を消滅させるだろう」
「……そ、それで……私はどうすれば?」
「その破壊神を封印した石……蒼の封印石を集めてきてほしい。地界の護人である我らにもいろいろと影響してくるはずだ。 そして人界での十年前……滅んだはずの一族に生き残りがいる。呪印をもつ者だ。見つけたら正ちに我に報告せよ」
 御子は手を強く握りしめながらリートに言った。
「わかりました。すぐにでも実行いたします」
 リートは一礼すると、立ち上がり姿を消した。

「……義姉様」
 御子は帯の内から短剣を取り出すと長い髪を切り離した。 不揃いの髪には血がついている。強く握りすぎたせいか手からは血が流れ、 その美しい大理石の床に血が滴り落ちている。それが髪についたのだろう。
 御子は行動できない身であり、 本来なら自分から義姉を助けるために人界に移動したい。だがそれは出来ないのだ。 魔族における呪は彼を地界に呪縛していたのだ。
「これも……呪か……」
 御子はただ一言だけ呟いた。
そして切り離した髪をぎゅっと握りしめ、また義姉のいた部屋へと戻って行った。

 御子が立ち去った部屋は、闇へと戻った。 ただ、滴り落ちた血だけが鮮やかな色をその場に残されていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――