第2章 7話 能力と左腕〜過去の自分〜
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 必死に身体を動かそうともがいたが彼の前では無に等しかった。冷酷な人格は容赦なく剣を振り上げている。
 こんな所で死んではいけない、ヴァンは死ぬわけにはいかなかった。――まだ見つけていない。仇をうっていない。
 ヴァンの感情が思わず高ぶった。それと同時にぶわっと勢いよく炎が身体を纏い始めた ――能力が暴走しているのだ。ジルハはそれを察知するとすぐさま後ろへ飛んだ。 だが一瞬遅かったのか彼の上着の裾が燃え燻ぶっている。 ジルハはすぐさま上着を脱ぎ去り、左腕がないその姿をさらしている。その瞳はじっと炎を見つめていた。
 能力をコントロールしようも上手くいかない。身体は動くようになり、必死で能力を抑えようとしたができない。
「止まれよ……止まってくれ……っ」
 いつの間にか声は出ておりとにかく必死だ。本能的に動いている能力はおさまりを知らず、ジルハに向かおうとしている。 コントロールしようと一週間やってきたが無駄なことだったのだろうか、アーチェが言ったことを思い出そうにも思い出せない。 このままでは先日の二の舞だった。自分は熱いとも何とも思わなくても周りへの被害が激しい。
(――剣、そうだ剣を――……)
 ヴァンは先ほど落ちた剣を拾おうとした。すれば能力はおさまるかもしれないと。 だが剣はジルハの近くにあり、自身の能力を恐れ彼は動けなくなった。 そんな彼の心境に容赦なく、ジルハは剣をもう一度構えた。 火に恐れがないのか、それとも今の彼は解っていないのか――ヴァンへ剣をむけて突進してきた。
 ヴァンはそれに気付くのが遅れ剣をまともに受けようとしていた。 だが剣が刺さる瞬間、ジルハは吹き飛ばされ床にたたきつけられた。
 ヴァンは何が起こったのか解らなかった。本当なら自分の体に剣が刺さっているはずだ。 だが痛みもない。床にはジルハがたたきつけられている。 頭を打ったのか、気を失っていた。そして同時に真上からたくさんの水を被さった。 炎は消え、能力もおさまったが服も何もかも水に濡れてしまった。
「大丈夫ですか!?」
 扉の前にはユースとアーチェがいた。ユースの右手には薄いベールと同じく蒼い光が留まっていた。 よく自分の周りを見ると蒼く光る薄いベール――結界らしきものが張ってある。
「ユース……なぁ! こいつどうしたんだよ……」
 結界も消え、彼は立ち上がると服を絞り始めた。首を左右に振り、髪の水分を飛ばしていた。 そこへ真っ白なタオルをアーチェはヴァンに投げ、彼はそれを程なく受け取った。 ユースは何か言うのを躊躇っていた。
「……ユース様、あたしから話しておきます。フォールと一緒にジルハを」
 アーチェが察したのかユースにそう伝える。
「わかりました。フォール、手伝ってください」
 すでにフォールはジルハのそばに駆け寄っていた。自分も傷だらけであり、翼の一部からは血が出ているようだったが関係ないようだ。 唯、主の心配をしている。フォールはユースの方を見て何かわかったかのように変化した。
 フォールの変化したものは"風"だった。そこにユースの能力で作った風も加わった。気を失っているジルハが宙に浮いた。
「では……アーチェ、頼みますね」
 ユースはそう言うと、フォールとジルハをつれて部屋を出て行った。
 ヴァンは黙っていた。先ほどまでの状況を考えただけで恐ろしい。
「まぁ、大体何があったかは予測できるけどね……」
 アーチェはそう言うと周りが光り始めた。するとヴァンの周りも光り、彼の体の中から小さな光の珠がでてきた。一瞬自分の記憶が薄れた気がした。
「なっ……!」
 その光はアーチェの方に向かっていった。彼女はその光に触れ、光は消えていった。
「な、なにしたんだよ?」
「あたしの能力は"情報"。……今のを簡単にいえばあんたの記憶の一部始終を見せてもらったの」
 飛空艇に乗っている面々は特殊でヴァンは頭が痛くなった。 記憶の一部――つまり彼女はこの状況を理解するために盗み見たのだ。
「……それって俺のプライバシーは?」
「大丈夫。ほかのは見てないから」
 その言葉を本当に信じていいのかはわからなかった。
「ジルハの事……教えてあげるわ。そうじゃないとあんたも今の状況に納得できないでしょうし、これからの事を考えるとね……」
 アーチェはふぅっと小さなため息をついた。
「グリエット大陸の中央部にあった"エクシード"って国を知ってる?」
「あぁ、俺もその大陸出身だしな。……えーっと、昔に内戦によって滅んだ国だろ。それとジルハがどう関係してるんだ?」
 予想できるのは彼がその国出身者ということだ。だがそれが先ほどの禍々しい少年とどう関係しているのかヴァンには解らなかった。
「ジルハね、そこの国王の息子……つまり、王族なの」
「……はぁ?」
 あまりにも突飛抜けた話にヴァンは状況がいまいちつかめなかった。

*…*…*…*…*

 崩れ果てた市街地に一人の幼い少年がいた。金髪は土埃、そして血によって汚れ輝きの欠片もない。涙は涸れ果て、絶望に満ちた橙の瞳は焦点があわない。
 国王軍もレジスタンスも、誰もいない。何故――自分は生きているのだろうか。両親も姉も誰もいない。あまつさえ左腕は潰され失ってしまったのに何故生きているのだろうか。 ぼたぼたと止まることをしらない血、左腕の残りを触ると痛みよりその血の温かさしか感じなかった。それとも痛みすら感じることが出来ないほど頭がぼうっとしていた。
 自身の周りに転がっているのは何なのか。くすんで乾いた血溜まりが幾百と取り囲むようにあった。 奮えている右手は何故赤く染まっているのか彼は解らなかった。否、理解したくなかった。無数に転がっている死体――レジスタンス達だった。
 無意識のうちに何をしていたのか、幼い少年は想像したくなどなかった。
 姉がいない。姉の――亡骸はどこにあるのだろうか。
 少年はふらっとしながらも立ち上がりゆっくりと歩いた。姉を探して。血を転々と残しながら、少年は大分歩いた。そして見つけた。
「姉……さ――」
 ジルハは姉を見下ろした。綺麗な顔をしていた。目尻には涙が貯まっていた。もう時は戻らない。いつものように名前を呼んでくれない。 涸れ果てたはずの涙が溢れだすと同時に、彼はその場に倒れこんだ。
 行き場のない姉の手をそっと握りながら。
――今……姉様の側に……
 消えていく意識の中、また身体の真が熱くなった。血が煮えたぎるかのように――そして少年の中で誰かが呟いた。 ――ドウシテヒトハ、シンデイクノ……
 段々と橙の瞳が真紅に染まっていく。湧き上がる感情がなんなのかは解らないままだ。自分が自分でなくなっていく。
――オイテイカナイデ……
 そして少年は意識を失った。

*…*…*…*…*

「――姉さ、ま……」
 彼はゆっくりと瞼を持ち上げた。視界がぼやけている、涙が筋となって頬を伝った。
「気がつきましたか?」
 優しい声は姉のものとよく似ていた。
「ユー……スさん………」
 視界が澄み、橙の瞳はユースを見上げた。 彼女はその瞳の色に内心ほっとし、彼の額に冷たいタオルをのせた。身体の痛みもあるが精神的な痛みが彼を襲う。
「俺……またなって・・・ました……か」
 ヴァンが見ただろう冷たい瞳の面影はまったくない。彼自信何も覚えていないようだった。
「……そうですね。もう少し休んだほうがよさそうですね」
 ユースはそう言うと立ち上がり部屋から出ようとした。
「……ユースさん」
「どうかしましたか?」
「……なんでもありません」
 ジルハはそういうと右手で目を覆い隠した。 ユースは少し躊躇いもしたがそっと扉を閉め歩いていった。
「ごめんなさい……」
 小さな声で言った言葉はユースに聞こえたかは解らなかった。 ゆっくりと彼は上半身を起こした。 ユースが処置したのか、不器用に巻かれた右腕の包帯に彼は微笑んだ。 部屋の片隅を見ると、籠の中に小さな龍が丸まっていた。起きているのかじっとこちらを見つめていた。
「……おいで」
 右手を差し出すとフォールは翼を羽ばたかせ近づこうとした。だが一度バランスを崩した。 ジルハは近づいた彼を抱きとめた。包帯が巻かれた翼ではうまく飛べないのであろう。 頭を撫でてやると可愛らしい声で鳴いた。
「ごめんな、フォール……」
 何を自分がしたのかはまったく覚えていない。 けれど傷ついたフォールを見る限り傷つけたのは自分であるのは解っていた。 だが龍は気にしている素振りを見せず、ジルハの胸でごろごろと鳴いていた。
「……大丈夫だ。しばらくここにいてくれ」
 龍は了解したと言いたいのか一声鳴いた。彼はそっと立ち上がると、自室にフォールを残し後にした。

*…*…*…*…*

「……つまりジルハは王族で、国の内乱によって左腕も失くしたけど生き残ったわけだな?」
 ヴァンは頭をおさえながら自分なりに整理していた。 エクシードの内乱の詳しいことは知らない。同じ大陸出身とはいえども内乱がおきたのは十年前のことであり、その地に訪れたことさえなかった。 ジルハが王族だといわれてもピンとこなかった。
「そうよ。そして……フォールに出会った。フォールは羽翼族の中でも珍しい龍族なの。 龍族は一回だけ特殊能力の"再生"が使える。でもフォールは生まれて間もないまま使ってしまったらしいの。 左腕を再生するまでには至らないものの、命は助かった。でも中途半端な力のせいで余計なものまで再生してしまった」
「余計なものって?」
「魔族の血……ジルハの祖先には一人だけ魔族がいたらしいの。その血は時間と共に風化されていったはず。 だけどそれを再生してしまったってジルハは解釈している。それでもほんの少しだろうけど……」
 魔族――その単語を聞きつながった。魔族は真紅の瞳を持つと聞いている。あの時、ジルハの瞳の色が変わったのはそう意味を持っていたのだろう。
「じゃあジルハは……魔族なのか?」
「魔族じゃないわ。そして半魔族でもない。ジルハには魔力ほとんど無いし魔族の特徴も持っていない。 けれどさっきのように瞳が真紅に染まったりあんたが動けなくなった。真紅の瞳は魔族の証……金縛りにあったのは彼の本能的な闘争心のためだと思うの」
 少量の血が彼を変えさせる――ヴァンはぞっとした。魔族に実際に会ったことは無いが、できるならば会いたくない。
「ジルハはエクシード王族の最終継承者。……王制国家だったエクシードの国はあの子しか復興させることはできない。 ……それくらいトレジャーハンターしてるあんたも解るでしょう?」
「王制国家は王族の加護を受けている……ってやつか」
 王制国家は王族の血によって地を潤し、地を護るといわれている。王族もまた護人であるのだ。
 ヴァンは仕事上、その文献は何度も読んだことがあったが所詮自分とは関係ないと思っていた。
「あの国を復興させるには資金とか人間とかそういう問題ではない。王制国家は特殊過ぎるのよ ……前にジルハは自分が普通とは違うから、って言って泣いていたの。だからその血を……普通の人間に戻す方法を彼は探している」
 ヴァンは言葉を失った。

*…*…*…*…*

――何も出来ないくせに威張ってんな!
 その通り、だと彼は思った。
 今すぐにでも行うことは国の復興のはずだった。だが彼は未だに国に戻れずにいた。 魔族でも普通の人間でもない半端者にできるのか、そう考えたら彼は怖くてたまらなかった。  口先だけで行動できず、今も傷を癒すかのように居心地のいい場所にいる。
 血を復活させたフォールを恨んでいるわけではなかった。命あっての今がある。 それでも彼は自分を納得していなかった
「こんなところにいた。ユースが言ってた部屋にはいないんだもんな。まさか飛空艇の甲板にいるとはなー」
 ジルハは無反応だった。甲板の端に座りこみ右腕に顔を押し付けていた。ヴァンはジルハのそばに行こうとした。
「来るな!」
 ジルハの言葉にヴァンは足をとめた。
「さっきは悪かった。……何もわかってなくて」
「やめろ! ……謝るな」
 彼がそういうのならユースかアーチェ、どちらかが自分の過去を話したのだろう。 謝られたあとどうすればいいのだ。惨めに思われ、慰めの言葉でもかけられるのはもう散々だった。
「俺の過去……もう知ってるんだろ?」
「あぁ、聞いた」
「なら解っただろう!? 何も出来ない奴なんか放っておいてくれ!」
 ジルハは大声で叫んだ。その声は震え、泣きそうな声だった。
「人間とか魔族なんて区別をつけているのはお前自身だろ。……俺はそんなに魔族とかのことを知ってるわけじゃない。どちらかといえば俺には関係ねーな」
 あんな自分の姿を見てなおこのように接してくる人間はいなかった。ユース達も最初は驚いたがヴァンほどではなかった。
「自分で人と違うって思いこんでたら何も始まらないだろ。それに自分って存在は一人しかいないだろ? 他人と同じところもあれば違うところも必ずある。だからそんなに悩むなよ」
 ヴァンはゆっくりと歩きだし、彼の隣りに座った。
「お前の過去知ってんのはフェアじゃないから教えとく。……俺、両親を殺されたんだ。しかも今入ってる紅月の奴らに」
 ジルハは顔を上げ、ヴァンの顔をじっと見た。ヴァンはその視線を気にすることなくただ先を見つめていた。
「その時の以前の記憶がない……両親の顔さえ覚えてない。自分が本当に"フレア=ヴァン=シエル"っていう人間なのかすら解らない」
 ジルハはヴァンの見つめる先を見た。紫に近い色をした空が段々と黒味を帯びていく。 沈んでいく太陽に思わず下を向いた。今の自分には眩しすぎた。
「俺は紅月のカシラに拾われて流れで紅月に入ってる。でも二年前にそのことを知らされた。昔あったことを覚えていなくても事実は忘れていない。 俺は"自分"を取り戻すためにも、両親を殺した奴を見つけることが今の目的だ。だから……その、お前の気持ちとか解らねぇわけでもないんだ」
 "自分"を取り戻す――二人の目的は言葉は違えど同じだった。
「俺だってまだ見つけてないもんがあるようにお前にもある。それひっくるめて"自分"ってやつだろ? だから、その……さっきは……」
 何か不器用に言葉を伝えているヴァンにジルハはくすっと笑った。
「……少しだけどお前のこと認めてやるよ」
 ジルハは下をむいたまま小さな声で言った。少々ふてくされた声だったがいつもの彼だった。

 絶望の日があの時からずっと今も続いている。いつか見つけられるだろうか、希望の光を。

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