第2章 9話 悲運の人魚〜水中庭園〜
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 どれくらい眠っていたのだろうか、ヴァンはゆっくりと目を開けた。視界には見慣れない風景がうつり、あの暑く蒸した空気ではなく、涼しく湿っていた。 いつもと違う場所、彼は戸惑いを感じていた。
 身体が熱い。そっと額をおさえると包帯が巻かれているがその上からくる熱さは普通じゃない。傷からきている熱は自分を締め付けている。
「目、覚めた?」
 ヴァンの顔を覗き込むようにアーチェがいった。
「うわあああぁぁぁ!」
 ヴァンは反動でベッドから転げ落ちた。頭を打ったせいかますます視界が回る。
「だからそんなに驚かなくてもいいのに。……傷口開いてるみたいね」
 部屋の鏡に映る自分の姿。包帯のところがほんのりと赤く滲んでいる。傷口が疼き、彼は顔を歪ませた。
「……平気だ、これくらい」
「そう……ならいいけれど」
 大分無理をしているはずが強がってしまう自分が情けなかった。見栄を張っているのがばれているのは解りきっていた。 だがそれを察してのアーチェの言葉もまた辛い。必死で視線を逸らすと隣のベッドにはユースが静かに眠っていた。
「ユースは……まだ起きてないのか」
「能力の使いすぎでしばらく目覚めないわね。ここ最近、能力を使う機会が多かったから……」
 ヴァンは立ち上がりユースを見た。深い眠りに落ちている彼女はまるで――
「アーチェ、此処はどこなんだ? ユースが能力使えない様子じゃ飛空挺じゃねぇよな?」
「それは――」
 アーチェが言い終わる前に部屋の扉が開いた。ヴァンは開いた方向に自然と視線がいってしまう。 部屋に入ってきたのはジルハとフォール、そして続けて見知らぬ女が入ってきた。 薄藍の髪は腰まであり、軽く波打っていた。色素の薄い藍色の瞳が印象的で、彼女はこちらを見いると軽く笑いかけてきた。
「目が覚めたんだね、良かった」
「……あんた、誰だよ?」
 ヴァンは率直にいった。見知らぬ人物は想像以上に明るい性格のようだった。表情は微笑んだままだ。
「わたしはレウィーナ。"鱗族"の人魚だよ」
「……人魚!?」
 レウィーナと名乗った少女の最後の言葉のせいだろう、一瞬間が空きヴァンが在りえないといいがたい目で訴えた。 人魚の存在は知っていたがどこもそれらしくなかった。彼女は二本足で立っている、ひれも無い。 それとも想像していたのは偏見だったのだろうか、と考え込んでしまう。
 だがそんな視線をものともせず、彼女は持っていた小瓶をアーチェに渡した。
「気つけ薬よ、飲ませてあげてね」
 ありがとう、とアーチェは言いユースの口元へ小瓶を近づけた。
「えっと……レウィーナ」
 ヴァンはおそるおそる話した。異種族と話すのはなにも初めてではない。紅月の仲間にもいた。 けれど鱗族――人魚となると未知のものだ。
 彼女はまた笑いかけて何か言いたそうなヴァンを見つめた。
「ここどこなんだ?」
「"水中庭園"っていう鱗族の集落、サウリースの海下にあるのよ」
「……つ、つまりここは水の中なのか?」
「そう、あなたたちが溺れてたからここへ連れてきたの」
 人魚、そして鱗族という単語がでてきた時から予感はしていたが まさか本当に水の中にいるとは思わなかった。笑ってごまかそうとしたがどうやら本当らしい。 そんなヴァンを見てレウィーナはくすくすと笑った。
「大丈夫だって、水の中でもここは特殊な場だから」
 ヴァンはまだ理解できなかった。能力のように非科学的なことはあってもさすがにそこまでは信じきれない。
「外に出ようか? そこでわたしが人魚だってことも証明してあげる。もちろん水中庭園のこともね」
「あたしはここでユース様をみているから、行ってきたら?」
 ユースを置いていくことは自分の一族の掟に反する、と言いたげな瞳でヴァンを見た。 その視線を感じてヴァンは行くしかないと思った。ジルハもその視線で分かったのかふうっと小さく息を吐いた。
「わかったよ。行けばいいんだろっ」
「……フォール、アーチェと一緒にいろ」
「ピュゥ」
 フォールは元気よく鳴くと、アーチェの肩へ飛んでいった。
 ヴァンとジルハは小突きあいながらもレウィーナに連れられて外へと出て行った。 その様子を見送るとアーチェは目を閉じゆっくりと深呼吸をした。そして手元にある一冊の本に向けた。
 二つあった本、歴史書はあの波に襲われた際に酷く濡れもう内容すら読めない状況だった。 しかし一方の日記帳は濡れた形式がまったくなく、内容もすべて無事だ。 本自体が何か力を持っているようだった。
 フォールがまた鳴いた。アーチェの耳元で、小さく。
「心配しないで、フォール。……手がかりを握るのはきっとこの本だけだから――」
 アーチェは龍を撫でた。そしてぐっと息をのんだ。
 まだこの本には"情報"があるはず――
「これぐらいしないとユース様の役にはたてない……」
 目を瞑り本に意識を集中させると彼女の周りが光り出し、光の帯は本へと向かった。

*…*…*…*…*

 水中庭園は地上とさほど変わりはなかった。建物があればしっかりとした道もある。 レウィーナの説明によると、鱗族の中には地上に似た場所でないと住めない者がおり、その中に人魚も含まれる。 建物はすべて特殊なサンゴ礁でできていて、太陽の光がわずかにしか届かない海底深くでも空気の心配はない。 地上からかけ離れたこの場はある意味楽園のように思えた。
 唯一違うのがここが水の中ということだけだった。見上げれば、どこまでも続く大空ではなく、神秘的に広がる大海がある。 翼を広げ舞う鳥ではなく、鱗を煌めかせ漂う魚がいた。
 そんな海とも隔離されたような場所、それが水中庭園だった。
「水中庭園は鱗族に伝わる特殊な力によって護られている。水で出来た薄い膜みたいなのに包まれているの」
「ふーん、その膜は壊れたりしないのか?」
「壊れることはないわ。海の水自体がここを護っているからね。 わたしたち鱗族は海の管理者でもあって、水を操ることができる。人間が使う能力みたいなのとはちょっと違っているの」
「じゃあ俺のとは別物……ってことか?」
「ヴァンは能力者だったんだ。どんな能力なの?」
「えっと、"炎"だよ。まぁ……剣がないとだめなんだけど」
 よくよく考えると自分の能力に対して深く考えたことは無かった。操る訓練といっても能力の性質自体を知るわけでもなかったからだ。
「じゃあ質問です。ヴァンは能力使うとき何かを想像している?」
「そうだな……何かが燃えてるようなイメージ、かな?」
 だが考えてみると初めて能力を使ったときはイメージも何もなく、唯光が炎に変化しただけだった。 燃えるようなイメージも何もなかった。
「人の能力は使うときに光がでるでしょう? その二つが一致して能力が使えるの。でもわたしたちは違って光は出ないの。 自然系統の護人で有名なのが鱗族や羽翼族でしょう? そういった種族に特殊な力があって元素を利用するの」
 光――確かに能力を使うとき光がでる。あの光は一体何の意味があるのかヴァンにはさっぱり解らなかった。 そしてユースの能力だけは蒼い光が出るのも彼は気になっていた。自分やアーチェは唯の白い光なのに――
「人の使う能力みたいに何もないところから火や水は出せないの。けれど空気中に飛散している水分を集めれば水を作ることができる。 さっきジルハの肩に乗っていた龍……羽翼族でしょ? 特殊能力持っているんじゃない?」
 それを聞いたジルハの瞳が曇った。
「フォールは龍族。特殊能力は"再生"だ」
 ジルハはそういうと目をそらした。 彼は過去にその力で生き延びたからだろう、あまり触れられたくなかったようだった。
「それも同じ。もっている力を利用したものでもあるわ。水中庭園は私たち鱗族の能力でできた膜に空気を集めたものなの。 海の中で作ったから空気が湿っているの。水自体が守っていてくれている、だからそう簡単には壊れないわ」
 レウィーナの説明にヴァンは頭を傾げた。血を流しすぎたせいで上手く回ってくれないのか、それとも自分の理解力が乏しいのか。 そんな表情をみるとレウィーナは察したかのように手を前へと差し出した。すると水が突然湧き上がるかのごとく集まってきた。
 ユースが水を創造したときとは違い、光はでなかった。気泡をたてながら空気中の水分が集まりレウィーナの手のひらには水の球体ができた。 そしてヴァン、ジルハは自分たちの周りが少し乾燥し始めたのに気がついた。
「ねっ、空気が変わったでしょ?」
 彼女の手のひらから水は零れ落ち空気の中へと消えていく、 乾燥していた周りの空気が段々と湿ったものへと戻っていった。
「すごいな、その特殊能力ってやつは……」
 自然から力を借りる――護人の力にヴァンは心底驚いていた。
「……わたしからも質問していい?」
 急に彼女の声の調子が変わった。
「どうしてサウリ―スにいたの? あの島にはもう何もない……あそこにいれば血の波に襲われるだけよ」
「えっと、あの島で探し物してたんだ。確かにその血みたいな波に襲われたしな」
 ヴァンは探し物――封印石――のことをぼかした。ユースがいたら彼女に話しただろうか、とも考えた。 だが自分のようにいきなり言われても信じられるものではない。 そして生き物――あの血は生きているようだった。そして封印石の共鳴、あの波には欠片があるはずだ。
「知ってるわ。……わたし遠くから見てたから。あの島の近くにあった珊瑚島でね」
「偶然……そうではないと? どうして助けたんですか?」
 ジルハが探りを入れるような目を向けた。すると彼女は俯き、二人を視線から外した。
「……なんで私以外の鱗族がいないかわかる? 人間を恐れているからよ。……でもあなた達はサウリ―スにいた人間ではないし、 人魚の存在すら曖昧だったからちょっと試してみたの。ごめんね」
「どういうことだ?」
 ジルハが言葉に噛みついた。"サウリ―ス"の人間ならばどうなっていたのかと彼は加えた。
「……そうね、ちょっとついてきてもらえる?」
 レウィーナはそう言うと先ほどの穏やかな足取りとは打って変わりながらも端を目指し進んだ。 最中、言葉の交わしあいは止まり無言のまま進んだ。そのせいか道のりはとても長く感じた。

 レウィーナの足が止まり、二人の足取りも止まると彼女はこちらを向いた。 その背には地から水が生えているかのようで、庭園を半球体に包みこむ正体――海と水の膜の境界があった。
「それが……水の膜、か?」
 想像していたものよりもその膜は薄かった。手で触れるとシャボン玉のように割れるのではないかと心配になる。
「そう、これが海への道、この先へ行くの。わたしの力を使ってね」
 そうレウィーナは言うと彼女は二人に並ぶよう指示した。 彼らに向けて手をかざすと、先ほど見たように周りに空気中の水が集まりだした。 その水は包むかのように透明で薄い水の膜と同様の物になった。球体であり、彼らが動くと水の膜自体も動く――ボールの中のようだった。
「その中に入っていれば海の中を歩くことができるわ」
「……これで水を遮断するとして、どこへ行く気だ?」
 話しながら彼らは水中庭園との境界へと踏み出し海中へ入った。 膜を潜った瞬間、レウィーナの下半身が一瞬で鱗に覆われ、想像していた"人魚"の姿になった。 その光景に二人は呆気にとられた。
「これから行くところは人魚の墓って呼ばれている場所。そこで教えてあげるわ、血の波の事を」
 レウィーナはそういうとまた笑った。 だがその笑った顔つきは今までと違ってどこか悲しそうだった。

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