第2章 11話 悲運の人魚〜標された道〜
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――お願いがある」
 発された声は思っていた以上に力はなくか細いものだった。
「あの子に渡してほしい……」
 彼は右の手に握りしめたもの――古びた鍵を彼女に差し出した。何の鍵だろうか、そんな疑問は直ぐに打ち消えた。 その右手からも血が滴っていた。
「喋っちゃだめ! どうして血が止まんないのぉっ!」
 人魚だったら治り始めるはずなのに――人間の回復力では追いつくはずはない。。 暗がりでも所々にある殴られた痕は青くなっているのがわかり、腹には深い刺し傷、彼から漏れるヒューヒューとなる息、全てが初めてだった。 アイファは怖かった。親友の恋人が今ここで死に直面しているというのに救う術が彼女のは無かった。 雲に隠れていたはずの月が顔を出し、明りが彼の顔を照らすがもう瞳には何も写っていないようだった。
「早く、君も逃げろ……他の人間に……見つかる前に、レウィ……といっしょに……」
 アイファはぎゅっと唇を噛み締めた。何がいけなかったのだろう、人魚は地上を求めてはいけないのだろうか。 人間はどうして人魚を"モノ"として扱うのだろうか。 他の人魚を地上に促した自分はどうしてまだ生きているのだろうか。 絶え間なく押し寄せる悲しみと疑問とで彼女はいっぱいになり涙がこぼれた。
 彼の手からそっと鍵を受け取り、ぎゅっと唇を結んだ。
「ごめんね、……ちゃんと、ちゃんとレウィ―に渡すからね!」
 青年は力なく笑みを浮かべそのまま静かに瞳を閉じた。差し出されていた右手は力なく地に落ちる。 それを看取ると、彼女は涙を拭きとった。彼から渡された鍵を首から下げた。
 親友の恋人の最後の願い、それを叶えるために彼女は走った。決して人には見られないように。
「レウィ―……どこにいるの」
 怖くて仕方がなかった。見つかってしまえば殺されてしまうのだろうか、そんな思いしか湧いてこない。 そして彼女は小屋の裏でがくがくと震えた親友を見つけた。

*…*…*…*…*

 レウィーナは恐るおそる目を開けた。そこにはもうアイファはおらず、見慣れた天井が見える――自分の家だ。 身体を起こそうとしたが小さなうめき声をあげた。
「無理しないでください」
 ユースはそう言い彼女をゆっくりと起こした。
 レウィーナは声を聞いた瞬間何かが弾け飛んだように彼女の肩をゆさぶった。血で染まった包帯が痛々しく目に映った。
「どうしてあの子が……っ――!」
「落ち着いてください、……大体の話は聞いています。その血波のことについて私は何か知っているかもしれません」
 徐々に落ち着いていき、彼女は肩から手を離した。
「まずは包帯を替えましょう? 話はそれからです」
 そういうとレウィーナは黙ってユースの手当てを受けた。 だが驚いたことに、傷だらけだったはずの彼女の両手足はもう包帯など必要ないほどに回復していた。 傷をおってからまだ数時間も経っていない――これが人魚の回復力であり、不老不死と謳われる血の力なのであろう。 ユースがその目を疑うほどだった。
「えっと……レ、レウィーナさん」
 ユースが今度は左腕の包帯を巻きとった後、彼女の口が開いた。
「レウィーナでいいよ?」
「ではレウィーナ、この本……いえ日記ですね。これについてなにか知っていることはありますか?」
 ユースは二冊の本を取り出すと片方――日記をレウィーナに渡した。 鍵のついた本はサウリースでアーチェが拾ったものだった。 レウィーナはページをめくっていくと同時に手が震えていく。
「……どこでこんなものを?」
 目を丸くしながらもユースに問いかける。
「今は廃墟となしたサウリースの人家からです。瓦礫の中からこの本と歴史書が出てきました。 人魚のことも書かれていましたので大体のことはわかっています。日記……のようですが、この本の持ち主のことを知っているんですか?」
「……知っているわ。四年前に死んだ恋人のよ」
 その日記を手にし、彼女の瞳が悲しみで満ちた。
「……四年前ってさっき言っていた悲劇のことか?」
 座ったヴァンが足をぶらつかせた。頭の傷の包帯をアーチェに取り替えてもらっている最中であり、 血がついた包帯には彼の傷が深かったことを物語っていた。
「そうよ、さっき話したこと。でもその話には続きがあるの」
 レウィーナは日記を見つめたまま話を続けた。ページをめくる毎に涙がこみ上げてくる。
「……私は友達と地上に上がった。人間たちは不老不死になりたいがために一緒にきた仲間を殺した。 そして彼が……この日記の主がわたしたちをかばって殺されたの」
 彼女はぎゅっと唇を結んだ。
「結局残った人魚は私と親友の二人だけ。だけど……最後の最後にあの子は殺された。地上に上がった人魚のうち……私だけが生き残った」
 彼女は最後のページをめくり、それを見た瞬間に涙が零れ始めた。  紅い文字――彼の血なのか、その"文字"に哀しい事実がこみ上げる。
 アーチェは自身が日記の"情報"を抜き出してしまったことを後悔した。 例え主のためであろうと、その想いは"彼女"だけのものであり自身が共感する云われは無いのだ、と。
「でもさっき……あの血の中に、その中にアイファ――あの子がいたの!  なんでかわからないけれど、……あの子がいた。死んだはず……なのに」
 日記は床に落ち、頭を押さえ先ほど起こったことを思い出そうとレウィーナは必死だった。 混乱しきった状態であり、その身体からは汗が溢れ出してくる。
「……その少女、首から下げている鍵を提げてませんでしたか?」
 話の途中でユースが言った。なにかに確信めいたかのような口調だった
「そう、よ……何で知ってるの?」
 抑えた手を緩めレウィーナは顔を向けた。
「不思議な夢を見たんです。その少女が出てくる夢を……。推測ですが、その日記を持っていたから影響されたんだと思うんです。 彼女が今いる場所がどこなのか、心当たりがあるんです」
 ユースは首から提げている封印石のペンダントを握り締めた。 それに目を落とすと何かを決意した表情をし、立ち上がった。
「レウィーナ、あなたの具合がよくなったら……私を人魚の墓に行かせてください」
「……わかったわ。あと少し休めばもう大丈夫だから」
 彼女は涙を拭い、日記を拾い上げ、ぎゅっと抱きしめた。

*…*…*…*…*

 一行は水の膜を纏い、瑠璃色の水の中を歩いた。
 しばらく行けば先ほどの光景が窺えた。深海に並んだ夥しい十字架がそこにはある。
「確かこの辺りのはずです」
 ユースはその墓の中心地に駆け寄った。 自分の夢と掛け合わせあの時とそっくりな居場所を見つけたからだった。 その場には墓はなく、その地を囲むかのように十字架が並ぶ。
「ここが……なんなんだよユース?」
 ヴァンは首をかしげた。 彼女の行動は意味あってのことなのだろうが初めての場所に確信持って出来るものなのか疑問だったのだ。
「ユース様はここがなになのかご存知なのですか?」
 アーチェがそう言うと彼女は頷いた。ユースは一つ一つ十字架を手探っていった。 そしてある十字架の前で立ち止まり、そっと手を触れると周りが一変した。 十字架に囲まれていた深海の地面が急に無くなり底が抜けたかのようだった。
「異空間……封印石の影響か?」
 ジルハの発言にヴァンは思わず納得してしまった。 その光景はヴァンも飛空艇に侵入した際に覚えがあった。どこまでも続いていそうな闇――光は無く自分の掌でさえ見えない。
「そうなのかもしれません。石の力がどこまでのものかは解りませんが……」
 ユースはアーチェに止められたが能力を使い"光"を生み出した。 光は辺り一面を覆ったが顕わになったその空間には何もない。
「……フウインセキ? それが影響しているの?」
 ユースは躊躇った。彼女の前で石の話をするのは間違いだった。 石さえなければ彼女は苦しい思いをせずに済むのかもしれないのだ。
「今はまだ何も……詳しいことは後で説明します」
「そう……今はこちらが先、そういうことね」
 そういうとレウィーナは潜っていった。 どこまでも深く続く空間に光は届き照らすが、やはりそこには何も無い。 ただ闇が続いていくばかりだ。だがふいにレウィーナが止まった。空間の底に着いたようだった。
「ここに……いるのか?」
「……いるわ。わたしには分かるもの」
 レウィーナは何かを感じ取っている様子だった。  光をともした水の膜が彼女を先頭に進んでいく。暗闇の中、それが唯一の光。足取りに注意しながら進んでいった。
「どうした、……レウィーナ?」
 急にとまったレウィーナにヴァンは問いかけた。彼女の表情から全てがこぼれ落ちていた。
「――アイファ」
 言葉の向こうには、深いマリンブルーの長い髪の少女がこちらを見ていた。 その尾ひれには彼女に絡まるかのような赤い物体――血があった。 ユースの胸元にある封印石の欠片が光りだし、少女を指し示す。
 ――夢と同じだった。
「やはり夢の中のあなたなんですね」
 ユースはそっと睫毛を伏せた。少女の顔は泣いているかのようで痛々しく見ていられなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――