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『姉様、待って下さい!』 必死に前を歩く姉の姿を追った。だが追いつくことはない。姉は進む、僕は立ち止まる。否、姉が進んでいるのではなく自分が遠ざかっていた。 時間という残酷な流れが愛しい姉を見捨てたのだ。 自分の後ろに立ち"進め"と、問うているのは誰なのだろうか。先に止まった父か母か――声はまるで文章のようでまるで現実味がないのだから。 『なんで僕は進むの?』 今度は自分自身で問うてみた。愛しい人がいない世界で生きたくはないのに、独りは嫌なのに、でも心の淵にいる誰かが僕を操り前へと進ませる。 先は絶望に満ち溢れているのに―― * 彼は目を覚ましまだはっきりとしない頭で無意識に言葉を発した。 「……ここは?」 天井は自分の部屋のとは違い低かった。ベッドは簡易の物らしくゴツゴツとしていた。その視界を遮るように小さな龍が翼を羽ばたかせ自分の枕元へ降りてきた。 (――何が起きたんだっけ……) 「ピュゥ?」 大丈夫かと言わんばかりに龍は声をかけてきた。返事の代わりに胴を撫でた。 「……ここがどこか知っているの?」 龍はもう一声鳴くと飛び、部屋の扉の前へ向かうと羽でばさばさと音をたてた。 「ジルハ様、気分はどうですか?」 慌てて入ってきた兵士に身体を向けた。 「誰?」 「私は国軍のラビア=クレバートと申します。此処は国はずれの要塞です」 兵士にしては優しい声だな、要塞が位置するのは隣国との境ではなかっただろうか、などと彼はぼんやりと考えた。城からかなりの距離がある事に間違いはない。 「……僕はどうしてここにいるの?」 失った左腕が痛む。残った箇所をジルハはさすった。何故腕は無くなったんだろうか―― 「私の部下が都でジルハ様が倒れていらっしゃるのを見つけたのです」 ずきん、と身体が急に叫びをあげた。血が沸騰しているかのように熱く、騒いでいる。小さな呻き声をあげ掴んだ左肩からは血が滴り落ちる。 それを見た兵士は止めようとジルハの右腕を掴んだ。するとジルハは兵士の手を掴み返し涙声で叫んだ。 「ねえ、どうして……こんな事になったの!? なんで姉様は殺されたの!? 父様も母様も――」 がむしゃらに叫んだ。すべて思い出した――そう、全て。 目の前で殺された姉の姿が目に焼きついて離れない。灰と化した都に漂う異臭が蘇る。左腕を失くしたあの痛みがぶり返す。怖い、恐い―― 「ジルハっ!」 荒がった声で兵士は声を浴びさせた。びくっと彼はその声に驚き動きを静止させた。 ジルハが落ち着いたのをみてちいさく溜息をつきこんどは先ほどと同じような声で言葉を発した。 「ジルハ様、よくお聞き下さい。この国は確かに滅びに向かっております。 今回のことはレジスタンスの一方的な暴動、その背景には他国が影響しているでしょう。もとよりこの国の地を欲しがっております」 「だ、だったらどうして話をしないの、戦いで奪っても何も……」 「レジスタンスはもういません。……王は亡くなられましたが被害は首都のみです。都近辺の街はまだ無事です」 ジルハは手を離し、簡易ベッドの上に倒れこんだ。どうすればいい、どうすればいいのだ。 「お願いがあるの……」 小さな声で彼は言葉を放った。 * 「お墓作ってくれてたんだね」 要塞と都の中間に位置する砂漠の遺跡近くには何百もの十字架が掲げてあった。全てに花を供えようとも、この砂漠の地では見つけることすら叶わない。 また、水を与えようとも、涸れきった地では貴重なものを差し出すことすらできなかった。 今、自分の目の前には姉の名が刻まれていた墓石がある。もうあの優しい人はいないのだ、冷たい身体は砂の下なのだと再確認したからか、ジルハは涙を堪え切れなかった。 「都で亡くなった者は全て埋葬いたしました。このような粗末なもので申し訳ないのですが……」 「あのままのほうがもっと辛いよ」 無残な姿を晒すよりも、安らかに眠ってほしかった。大分落ち着いてきた彼は、涙を拭い取り兵士を見上げた。 「……ねえ、食べ物は足りてるの?」 「は……はい。都近隣の街は暫くは大丈夫なはずです。ですが都のルートが途切れた影響は大きく供給も少なくなります。 要塞にもそれなりに確保はしておりますが何時までもつかは言い難いところがあります」 「城の南棟の地下に食料が保存されいてるんだ。そう簡単に地下の保存庫は壊れないって父様が言ってたから大丈夫。 あと西棟の地下には金飾類があるって言ってたからそれを他国に売って物資を運べばそれなりにもつと思うよ」 呆気にとられた兵士は一瞬言葉を失ったがすぐさま我にかえった。 「ジルハ様は幼いながらもよく……」 「父様に……そういうことは聞かされてただけだよ。でもこの後はどうすればいいかわかんないんだ……」 「他国には既に国は落ちたと思われております。だがこの国は王制、他国の王であろうともこの地を繁栄させることができません。 できるのはジルハ様の一族だけです。まだあなた様が生きているとは知られておりません」 「なら僕が他に渡ればこの国は利用されてしまうね」 兵士は続けて隣国との状況を述べた。隣国はバトゥナ、カルタヘナ、メテオラの三つでありどれも統制国家だった。 またバトゥナとカルタヘナに関してはあまゆ友好的な交渉はなく、国境では幾度となく衝突があるらしい。国土を狙っている二国とは話し合う余地はないと。同じ王制国家に助けを求めようとも距離が離れているため得策とはいえなかった。 「……ジルハ様はこの国を護る意志はおありですか?」 兵士がジルハをじっと見つめた。その目が怖くて思わずジルハは目線を逸らした。ぎゅっと唇を結び弱弱しい声で決意を言った。 「僕はまだ弱くてなにもできないよ。だから手伝って欲しいんだ、あなた達に……」 その小さな決意を聞くと兵士は微笑みその場に膝をついた。 「我らの力が及ぶ限り、あなたにお約束いたしましょう」 * エクシードの都が壊滅してから六年が経過した。隣国は王制の地を統治することができないと知るや否や、レジスタンスの補助を断った。 だがたとえ他国の支援を受けていなくても彼らは王族の生き残りであるジルハを狙っては度々襲撃を繰り返した。 ジルハは、エクシードと友好的な関係をもつ王制の国に出かけることはあったが、城のあった都跡地に潜伏しているとの情報もあり、彼はあまり外へ出れることはなかった。 残った国の民にとってジルハは唯一の存在であり、希望だったのだ。 彼が時々要塞近くの街向かっては、できる限りの物質を渡している最中でも、人々は彼を宝のように扱った。だが彼はそんな自分に嫌気がさしていた。 それぐらいしかできない自分がもどかしくて堪らない。"破滅した国"といった代名詞がつき、もう長い。だが復興させる手段が上手く見つからないのだ。 前王の恩恵が尽きかけているのか次第に国は荒れ地へと変わっていった。 毎日土を耕し、ある限りの水をやり、種や苗を植えても直ぐに枯れてしまう。水源の湖でさえ枯渇し、住民達が他国に渡ることは少なくない。 その原因を要塞に住む一番の老人が云う。それはジルハが正式に王位継承を受けていないからなのではないか、と。 他国の王に恩恵を受けるために王の一族はどうすればよいのかと、何度も聞きに行ったことはあったが満足する結果を得ることはなかった。 統治の印は国によって違うのだ、というのが答えだった。自身の統治する地に少量の血を与える国もあれば、地ではなく国の中心にある大樹に血を分けあたりと様々なのだ。 だがジルハは父に方法を教授されたことがない。王族の血が関係していることは確かなのだが、どこに血を与えればいいのか解らないのだ。 ためしに砂漠の地に分け与えてみたが変化はおこらずじまいだった。 血を与えれば恩恵を得ることができる王制国家にとってその方法がわからないことは滅びの道を辿っているのと同じなのだ。 王位継承がその方法を知り得るものだとしたならばそれは永久に失われてしまったに違いない。 その日はどんよりと曇っており気分を滅入させた。雨でも降りそうなほどで、太陽の光は届かなかった。そんな中、要塞の裏に設備されている兵士達の訓練場にジルハはいた。 訓練場と言ってもたいした場ではなく、平にならした地面に線を引いただけのもだ。 金属音のぶつかりがその場に響き凄まじい剣戟に兵士達は息を飲んだ。戦っているのはジルハと一兵士であるラビアだった。 左腕がないというリスクを負いながらも彼は必死に相手に対応していた。何度も何度もジルハは攻撃を浴び疲れきり、虚しくも剣が手から弾かれ地面へとささった。 「ジルハ様、ここまでにしましょう」 「あぁ……わかった」 ジルハは剣を抜き、鞘に戻した。 「それにしても強くなられましたね」 「まだだよ。……これじゃ護りきれないもの」 剣の稽古をしてもらって何年も経つが、まだ一人で兵に勝つことはできなかった。自分には才能がないのかと思うほどだ。 剣をやめ、銃にすればよろしいのでは、と何度かラビアに言われても打った反動が幼い自分には強すぎて難しいのだ。 どちらにしても戦うことにはむいていなかった。否、好むものでもなかった。――人を傷つけたくないという心からくるのだろうか。 才能を努力で補えても心は弱いままだった。 「ですが龍を使えば我らは刃がたちません」 フォールの能力を使えば勝つ事はできる。龍の能力を知ったのはつい最近のことだった。 失った左腕の変わりとなり、自分が思うままに動いてくれる。だがどうしても頼りたくなかった。 「あまりフォールをつかいたくないんだ。……フォールを戦いには巻き込みたくない」 「大事な友達でしたね」 友達にこんなもやもやとした感情を普通は持つのだろうか。 「違うよ、そんなんじゃないんだ。……疲れたから部屋に戻るよ。明日また相手してね」 そういい残しジルハは踵を返した。 「ピュゥ?」 要塞の居住区の最上階に貰った自室の扉を開けると、待っていたのは小さな龍だった。龍はジルハの左肩に停まり、頬にすり寄った。彼は右手で龍の首を撫でた。 「ただいま、フォール」 扉を閉め、二三歩踏み出すと同時に眠気に襲われた。覚束ない足取りでなんとかベッドまでたどり着き、どさっと倒れこむと同時に驚いた龍は急いで飛び立った。 「だめ……最近す、……ぐに眠くな……」 そのまま緊張の糸が途切れたかのように彼はそのまま眠りについた。 心身が疲れているのか、それとももう一人の自分が心身を欲しがっているのか、その理由を彼はまだ知らずにいた。 満月が暗い砂漠の国に映える。だが穏やかな夜ではなった。 ジルハは激しい揺れと爆音で目が覚めた。目元をこすり起き上がると真っ先に映ったのは窓の先の風景だった。遠くの空が血をこぼしたように赤く不吉だったのだ。 そしてまた地震のような揺れが彼を襲った。 「何が起きてるの……」 彼は窓枠にてを伸ばし、下を見た。居住区の下は騒がしく人々が逃げていった。また自分がいる階の二つ下の階は炎に包まれていた。火が回るのも時間の問題だった。 「フォール、おいで!」 彼は懐にフォールが隠れこんだ後、目を瞑りながらも自室の窓から飛び降りた。 怪我をする、最悪は死ぬかもしれないと思いながらも一瞬のうちに砂上に叩きつけられそうになった。それを救ったのはフォールだった。 龍は風に変化し彼を直前で宙に静止させたのだ。瞼を持ち上げその状況を確認すると同時にすとんと砂の上へと降ろされた。 変化を解きフォールが懐に戻ったのを確認し彼は兵士達のいる場へと急いだ。 飛び降りた後、砲弾が要塞に直撃し崩れていった。覚悟が遅ければ今頃瓦礫の下だと思うとジルハはぞっとした。 訓練場には自分のように腕がなくなった者もいれば足が吹っ飛んだ者もいる。唯自分と違うのは生死、彼らは皆既に亡くなっていた。 ひどい有様であり、地溜りがいくつも出来上がり息のある兵士など一人もいいないのだ。 その死体にまぎれているのは見知らぬ甲冑を身に着けたもの――レジスタンスだった。 ジルハはぐっとこみ上げてくる感情を抑え踵を返し走った。 あの日と同じ――記憶の奥底に眠った誰かが目覚めてしまう。 訓練場を後にしたジルハはまだ崩れていない別棟へと向かった。 要塞は形は残っていても火を帯びいずれ燃え尽きてしまうだろう。そこにはまだいくつかの人影があった。その中に自分が信頼する兵士を見つけ、彼は声を張り上げた。 「ラビア! 一体何が起きてる!」 「ジルハ様……レジスタンスが各地を襲撃しています。カスイとタールは既に落ちました。残りの町も既に……」 「……もうどこも残ってないんだね」 紅に燃え盛る方角には町があったはずだった。知った顔もたくさんいたはずだった。だがもういないのだ。あの日の悪夢がまた蘇る。 記憶の奥底に隠しても溢れ出るあの恐怖、憎悪で満たされてしまう。 感情を抑え、今起きている事実を把握しなければならなない。 今できること、それはこの場を守り抜くこと。そして相手のことを知ること。 「ラビア、本当のことを教えて。どうしてレジスタンスはこの国を嫌う? 父様が何かしたの?」 今まで誰に聞いても答えてくれなかった反抗勢力の事情、相手のことを知らなければできることもできないとラビアから何度も聞かされてきたのだからこそ問う。 兵士はぐっと息を飲みジルハの顔を見た。 「彼らは昔、奴隷として扱われてきた者達の集団です。奴隷制度は前王が撤廃させましたが差別はおさまらなかったのです。……その結果がこれなのです」 奴隷制度、その制度がエクシードにあったことさえジルハは知らなかった。そのような制度があったことに嫌悪し驚愕の声を洩らした。 「彼らは最初、自由を求め都に襲撃しました。ですが王を殺すなどとは思ってもいなかったのでしょう。他国に利用され、自国を滅ぼす。 彼らは後に引けないところまで追い詰められ今は――」 「……もういいっ!」 これ以上聞いても無駄だ――否、これ以上聞きたくなかった。だが彼の口は動きを止めることはない。 「自身の命と共に国を消すつもりなのです」 崩壊しつつある建物が火を帯び、煉瓦の塊がジルハの横へと降った。要塞の中から聞こえてくる激しい銃撃戦の音、赤く燃え盛る炎、飛び交う罵声。 だが今のジルハには何も見えず、何も聞こえなかった。 心の奥底で誰かが言う。何もできず、何も知らず、王族という名の飾りの存在、と。 だが時は一刻を争い、ラビアは呆然としたジルハの肩を掴んだ。 「ジルハ様、お逃げください! この要塞はもう落ちます、あなた様だけでも――」 「いやだ……僕もここに残って戦う! 一人だけ逃げるなんて嫌だ!」 これ以上飾りの存在で要ることが耐え切れなった。逃げても何もできない。今度こそ護らなければ――感情を抑えきれずジルハは叫んだ。 だが兵士は苦そうな顔をしつつもジルハの頬を叩いた。ジルハの驚愕した表情はじんじんと広がる痛みに対してではなく兵士の涙に対してだった。 砂漠の民である浅黒い肌に滴が伝う。鎧で身体全身を覆っている彼の兵は弱く見えた。 「お逃げ下さいっ……我等の希望はあなた様だけなのです。我等を思うのなら今は生き延び、国を復興して頂きたいのです。中にいるレジスタンスは我らが引き受けます!」 まるで拒絶するかのように兵士はジルハを突き飛ばした。要塞の壁に開いた穴はジルハを吸い込むかのように外へと押し出した。 「っ……!」 身体が砂漠に委ねられた。 「我らは死にません。あの日助かったこの命、無駄にはしません。ジルハ様が王とたたれる日を心から――」 要塞の壁は崩れ落ちる。その言葉の続きを聞けぬまま、中にいる兵士達に粉砕した土砂物と舞い上がる炎が覆い被さった。 「ラビアっ!」 これではあの日と同じだ。自分はなにもできず姉が死んでいく様を見つめていたのと同じ――光景に怯え竦んだ足は地へと這いつくばった。 頭をかきむしり絶望感に打ちひしがれ泣いた。飛び散る炎を横目にし早く行かなければ――逃げなければ、そう思ってもあの日のように身体が動かない。 また血が煮えたぎる、あの日以来の感情が戻ってくる。ふらっとしながらも彼は立ち上がった。懐に隠れていたフォールはジルハを見た。 涙が伝い滴は龍に落ちる。その瞳は真紅に染まっていた。 今までを捨てなければ、"僕"をやめよう。そうじゃないと感情に身を任せた結果を認めることになる。強がろう、貪欲になろう、そうでなければ国は復興できない。利用できるものはすべて利用しなければ。切り捨てるものは切り捨てなければ。いつの日か、自分の力を制御できる日まで"俺"でいよう。それまでは―― |