01色の始まり

The source of the color


 

 何時からだろう、世界が白と黒だけになったのは。
 何時からだろう、自分の色が消えうせたのは。
 
 自分の世界が周囲の人々と違うのは知っていた。
 まだ言葉が話せない頃に僕は捨てられ孤児院にいた。両親は僕を気味悪く思ったのだろうか。 鏡に映る髪の色は僕から見れば"黒"、けれど僕以外から見れば"赤"らしい。 薄い"灰"の瞳は僕以外から見れば"金"らしい。
孤児院の友達が「空が青いね」といってきても僕は「うん」と答えることしか出来ない。
 何故なら僕には空はいつも灰色に見えるのだから。曇りの日だけ一致する色。
 真っ赤な林檎のような髪が素敵だと言ってくれた人がいた。 でも僕は"赤"という色を知らない。林檎は"黒"に見えるのだから。本来の色なんて知らないのだ。
 青ってどんな色? 赤は? 
 白から黒にかけたモノトーンの世界が僕の視界の世界。
 誰にも話したことのない、僕だけの秘密――それが十年前の僕の現実だった。

 
 世界の何処にも自分の見ている世界と同じ世界に住む人はいないと思っていた。 近くにいる孤児院の友達も皆遠くに感じられた。
 慣れてしまえばこの黒さは赤なんだ、青なんだと判断は出来ても本来の色ではないんでしょう?
 そして皆、本当は僕が見ている世界のことを知っているようで、嘲笑いでもしているかのようで怖かった。 ここはお前の住む世界ではないといっているようで――
 だから逃げ出した。闇夜の世界へ溶け込むかのように、暗い道を走っていた。 誰も僕のことを知らない世界へ行ってしまえば、もう悩む必要なんかないと思ったからだ。
 けれど何日目だろうか、僕は疲れきっていた。食べるものはなくなり、水すらもない。 このまま死んでしまうのだろうか。
 今は夜、場所はしらない道中。僕はその場に倒れこんだ。
 何で僕は皆と同じ世界を見ることが出来ないんだろうか、何で僕が?
 何処にも、もう僕の世界はないんだ。

 意識が遠くなりかけたとき、リンと何かが鳴った。 鈴の音のように聴こえたがそれは僕の中に響いていく。
 すると一瞬で視界が闇に覆いつくされた。その闇の色は本当は何色なんだろう――
 僕は自分が死んでしまったのかと思った。それでも別にいい。そのほうが楽だろう。
 だがコツっと靴音が響いた。段々とそれは近づいてくると僕の頭の前で止まった。
 顔をゆっくりと上げると闇の中に女の人が独り立っていた。
 髪はウェーブのかかった黒に近い灰色、右目は眼帯で覆われていた。  肌は雪の色、真っ黒で長いドレスに身を包みこちらをじっと見ていた。
「客か?」
 少し高い声で僕に問いかけてきた。客? それはどういうことだろう。
「誰……?」
「先に名乗り出なさい。失礼でしょう」
「……」
 名前――それは捨てた。孤児院を出ていった日に。
「――そう。だったらいいわ。あたしの名前は――そうね、"アスマ"よ」
 僕のことを察して"アスマ"と名乗った女性は言った。僕はゆっくりと起き上がり、彼女を見上げた。
「……本当の名前じゃないの?」
「いいのよ、あたしはね。……さて、お話をしましょうか?  ここにいるということは、貴方は"色"を知りたいのね。 そうじゃなかったら此処に来る事はできないもの」
「……僕は色を知らないんだ」
「あら、そんなことなの」
 彼女は簡単にそういった。
 そんなことなんかじゃなかった。僕にとっては大事なことだ。
「目に映るのは白と黒だけなんだ。……こんな寂しい世界は嫌だよ」
「治るよ、簡単に」
「じゃあ治してよ!」
 すると彼女は僕の右目を指した。
「貴方は見ようとしていないから見えないの。 僕は寂しい子なんだ、独りなんだ、なんて思ったからいけないの。 そんなマイナスな考えを持っているから色は逃げだそうと、この"蟲"を呼んだのよ」
 そう言われるとそうなのかもしれない。マイナスな考え、確かに持っていたのだから。 けれど生まれたときからそんな考え持っているわけないじゃないか。
 僕の不審そうな顔を見てか、彼女は僕の瞳に指を近づけた。
 眼を潰されるかと思いぐっと瞼を閉じたが遅かった。瞳を触る痛さ、 彼女は僕の眼球を抉り出した――ように感じた。
 瞼をそっと開くと何も視界は変わらなかった。痛みももうなく、何もない。
 だが先ほどと違うこと、それは彼女が持っているモノだった。
「何これ……」
 彼女が持っているモノ、それは瞳が十程ついている"蟲"だった。
 その蟲だけ何故か黒と白以外の色だ。
 初めて見た、黒白以外の色。なんて綺麗なんだろう。違う色が何色も何色も重なって美しいグラデーションを生み出している。 気味の悪い蟲、けれど慣れてしまっていたモノトーンの世界にそれだけ鮮やかに、はっきりと映し出される。
 僕が求めていたもの、これが色なんだ。
 涙が出てきて止まらなかった。僕は感動しているのだろうか?
 それが欲しくて、自分の手の中においておきたくて、僕は蟲に手を伸ばした。 けれどそれはじたばたと彼女の手の内で暴れまわると闇の中へと飛んでいった。
 涙は止まったが、今度は世界が二色化していくのが哀しくて仕方がない。
「貴方に巣食っていた蟲よ。色を喰らう浅ましい蟲……この世界にいたのね。 あんなに輝いていたんだもの。生まれてからずっと寄生されてたのね」
「何で……なんで僕なの!?」
「さっきも言ったじゃない。貴方の負の心が原因だって。 幼くても本能的にそう思ってたのよ。そういった心に蟲は寄生する。 ……というか色自体が蟲を呼び出してしまう」
 本能的に?
 ずっと僕は、生まれたときから?
「この蟲は一週間しか巣喰わないはずなの。 それ以上巣喰えば蟲がヒトの心に喰われるわ。でも貴方は異例……否、異様なのね」
 淡々と話す声は聞こえても耳に入ってはすり抜けていく。
 僕が異様? もう何もかもが解らない。
「色喰いの犠牲者は一年もすれば色は戻る。 けど貴方は生まれた時からだろうから……一生無理かもね」
「そんなっ……! 嫌だ……」
 一生、死ぬまで、ずっと――
 白と黒しか見えない生活なんて耐えられない。
 "色"の存在を知ってしまったからだ。いっそのこと"色"なんかしらなければ良かった。
「仕方ないじゃない貴方の十二年分を取り戻すのは何百年とかかるわ。 ずっと白黒の世界を生きるのね」
「僕にはもう……帰るところなんかないんだ……」
「帰る世界? だったらあそこは何?」
 彼女はそういうと僕の後ろに向けて指した。 後ろを振り返ると、黒い闇の空間が円くぽっかりと空いた穴の向こうに孤児院があった。
 僕が逃げ出したそこにまた戻るのか?
「今ならまだ帰れるわよ」
「僕は……」
 帰りたくなんかない――否、帰ってもまた逃げ出したくなる。
「……ならあたしの"しもべ"になる? そうしたら"色"を教えてあげるわ」
「そうしたら色が見えるようにしてくれるの?」
「いいわ。少しずつね」
 そういった彼女の手を僕はとった。それが十年前に僕が開いた扉だった。
 色が知れるのならそれだけでいい。僕の目的が達成できるだけでいい。
 それ以外に何もいらない。
 そして今に至るまで、僕は色を知るためにアスマの"しもべ"となった。