02林檎は赤

The apple is red


 "色の魔女"の代名詞をもつ女性は新しくやってきた少年を見つめた。色の蟲に生まれてこの方まで寄生されていた小さな少年を。
 髪は林檎のように熟れており、目は猫のように鋭い。年は十二程と聞いたが、正確な誕生日は解らず気づけば孤児院で暮らしていたという。
 色喰いの犠牲者もまたじっと見つめ返した。
「僕は……ここで何をすればいいの?」
 魔女は微笑すると呟くように言った。
「"僕"としてあたしの手伝いをしなさい」

 何の気まぐれでこの少年を僕にしたのか、今でも解らない。

 
 少年はがちゃがちゃと棚上の小瓶を一個一個取り出しては蓋についた番号どおりに並べていった。 所々抜けている番号もあったが気にしない。小瓶は全て空でありその様相は不思議だった。 徐に、彼は小瓶の一つを手に取り魔女の元へと走った。
 魔女はいつも書斎で分厚い本を読んでいた。 その書かれている言語は少年が使っているものとは違うため、題名すらもわからない。 だがいつも同じ本を読んでいるのだ。書斎には何百もの本で埋め尽くされているのに――
「アスマ、この小瓶何に使うの?」
  「ア・ス・マ・さ・ま、何回言えば解る? それにノックぐらいしなさい!」
 彼女は立ち上がると少年の頬をつねり上げた。すると彼は痛さのあまりか思わず小瓶を離してしまった。 硝子は粉々に散り、蓋の装飾だけが形を残していた。
「また割ったわねーっ!」
 既に少年はこの三ヶ月で何個も小瓶を割っていた。 棚にあった小瓶の数は日を追うごとに少なくなっているのは確かだった。
「いい、割るごとに色を教えるの延ばすわよ」
「瓶割れたのアスマ……様のせいじゃん」
「言い訳しない!」
「小瓶以外なら割れてもいいの?」
「揚げ足とらない! なんでこんな生意気なガキを僕にしたのかしら」
 ふうっと、大きく溜め息をつくと彼女は傍にあった椅子に腰掛けた。
 三ヶ月が経過したからか、僕は魔女の家に慣れ始めていた。 僕が毎日のように問題を起こすため疲れが溜まってしまうのか、魔女はふぅっとため息をついた。子育てでもしているような気分だなと魔女は思っているに違いない。 だがそれを言えばまた魔女は怒り始めるだろうから言わない。
 不意に鈴の音が響いた。それには聞き覚えがあった。頭の中に響くような高い音だ。
「あら、久しぶりの客ね」
 それが来客の印だと、僕は初めて知った。
「お客さん? なんの?」
「忘れたの? あたしは色の魔女よ」
 そう言って魔女は棚から小瓶を一つとると、扉を開き部屋を出て行った。 そして同時に扉の鍵が閉まる。まるで入ってくるなと警告しているかのようだった。

 しばらく経った後、魔女は部屋に戻ってきた。その手には棚にあるはずの一つの小瓶があった。
「はい、あなたに渡すわ」
 受け取った小瓶は空ではなく、中で液体が波を打ち揺れていた。黒に近い色をした液体だった。
「何が入ってるの?」
 アスマはよく悪戯をしてきた。ジュースだと渡された飲み物が青汁だったときもある。またそのたぐいのものだろうと思っていた。
「色よ、さっきの客が棄てた色」
 何時になく真面目な声で魔女は続けた。
「それを飲めば棄てられた色だけ見えるようになるわ。それを選択するのはあなたよ」
「さっきのお客さんは何色を棄てたの?」
「あなたの髪の色よ」
 蓋を回し開け、ぐっと息を止め飲み込んだ。味はしなかった。 ただの水を飲んだのかと思うほどだ。だが直ぐにどくん、と激しく心臓が高鳴った。 目元が熱くなり、光に一瞬包まれたような気がした。
 おそるおそる鏡をみるとそこには先ほどとは違う世界が映し出されていた。モノクロの世界に浮かび上がった色、それは鋭く目を刺す色だった。
――真っ赤な林檎の色だね
 何時だか孤児院で自分よりも年上の子が言ってくれたことを思い出した。そんな髪色は世界で君だけだろうねと付け足して。 それが意味していた言葉をあの頃の僕は解らなかった――でも今なら解る。赤色の髪を持つのは奇妙だということ。
 だがその前にまた色を視れたことに感慨を覚えたのか自然と涙が零れた。
「これが赤?」
 確認するかのようにアスマの顔をみた。彼女が頷いたのを確認すると今度は辺りを見回した。
 小瓶の蓋は赤かった、彼女の履いているヒールについた小さな装飾は赤、そして彼女の紅も。小さな事で良かった。 "赤"の存在を見つけられた、解っただけで嬉しさが増すのだ。 「赤がもつ意味は情熱、火、生、欲、愛。そして警告。赤のモノには必ずその意味が宿っているのよ」
「赤いのには意味があるの?」
「例えばこの林檎。真っ赤なのはまだ林檎が生きているからか、人の欲を誘うためか。それとも毒があると警告しているのか、とかね」
 そういうと彼に持っていた林檎を差し出した。受け取ると少年はまじまじと見た。髪色と同じそれは女の言うとおりまだ生きているかのごとくはっきりと存在しており、食欲を誘っているようにも見え、毒があるかのようにも見えた。
「これには毒があるの?」
「いいえ、ただの例え話よ。でも毒林檎の御伽噺話があるじゃない。 真っ赤な林檎をかじったお姫様は死んでしまったってね。 その林檎はお姫様に警告していたのよ、これは生を閉ざすものだ、食べてはいけない、ってね」
 アスマが話す御伽噺話は孤児院に居た頃何度も繰り返し聞かされたものだった。真っ赤な林檎は毒々しいと話の中に確かに書かれていた。 だからといってそれに注目して読んだことはない。ただ、林檎という果物は赤という色なんだと知っただけだった。
「お姫様は気づかなかった。でもあなたは今赤の意味を知ったわ。それを忘れなければあたしがたとえ毒林檎をあなたに渡しても気づけるはずよ」
「……本当に渡しそうだよ」
 にまにまと笑うアスマの顔をじっとみつめた。色を教えてくれたことに礼を言うべきなのだが、言うタイミングを逃してしまった。 だがそれを悟るわけがなく魔女は徐に話を切り替えた。
「そういえばあなたは名前を棄てたわね。ずっと代名詞で呼ばれるのも嫌でしょう、あたしが名前をつけてあげる」
 きょとんとした少年を見てアスマは考え込んだ。少年を顔を、髪をまじまじと見た後に目線は彼の持つ林檎に移り、思いついたといわんばかりにポンと手を叩いた。
「ラウグパームでどう? どっかの言葉で林檎って意味よ。林檎と同じ色の髪を持っているんだもの、ちょうどいいわ」
「変な名前」
 そう言って僕は笑った。確かにそのとき笑った。


"ラウグパーム"、それは赤の名前。